律法はモーセをとおして与えられ、めぐみとまこととは、イエス・キリストをとおしてきたのである。
なぜなら、あなたがたは律法の下にあるのではなく、恵みの下にあるので、罪に支配されることはないからである。
イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。
そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた。
こうして、ほとんどすべての物が、律法に従い、血によってきよめられたのである。血を流すことなしには、罪のゆるしはあり得ない。
また真理を知るであろう。そして真理は、あなたがたに自由を得させるであろう」。
モーセはあなたがたに律法を与えたではないか。それだのに、あなたがたのうちには、その律法を行う者がひとりもない。あなたがたは、なぜわたしを殺そうと思っているのか」。
そこで、日を定めて、大ぜいの人が、パウロの宿につめかけてきたので、朝から晩まで、パウロは語り続け、神の国のことをあかしし、またモーセの律法や預言者の書を引いて、イエスについて彼らの説得につとめた。
また地のもろもろの国民はあなたの子孫によって祝福を得るであろう。あなたがわたしの言葉に従ったからである』」。
わたしの言う意味は、こうである。神によってあらかじめ立てられた契約が、四百三十年の後にできた律法によって破棄されて、その約束がむなしくなるようなことはない。
さてモーセはイスラエルのすべての人を召し寄せて言った、「イスラエルよ、きょう、わたしがあなたがたの耳に語る定めと、おきてを聞き、これを学び、これを守って行え。
この人が、シナイ山で、彼に語りかけた御使や先祖たちと共に、荒野における集会にいて、生ける御言葉を授かり、それをあなたがたに伝えたのである。
わたしがあなたがたのことを父に訴えると、考えてはいけない。あなたがたを訴える者は、あなたがたが頼みとしているモーセその人である。
わたしは恨みをおく、 おまえと女とのあいだに、 おまえのすえと女のすえとの間に。彼はおまえのかしらを砕き、 おまえは彼のかかとを砕くであろう」。
なぜなら、神の約束はことごとく、彼において「しかり」となったからである。だから、わたしたちは、彼によって「アァメン」と唱えて、神に栄光を帰するのである。
モーセに神が語られたということは知っている。だが、あの人がどこからきた者か、わたしたちは知らぬ」。
昔からわれわれの先祖たちに誓われたように、 真実をヤコブに示し、 いつくしみをアブラハムに示される。
主はそのいつくしみと、まこととを イスラエルの家にむかって覚えられた。 地のもろもろのはては、われらの神の勝利を見た。
いつくしみと、まこととは共に会い、 義と平和とは互に口づけし、
モーセはわれわれに律法を授けて、 ヤコブの会衆の所有とさせた。
モーセがイスラエルの人々の前に示した律法はこれである。
そこでピラトはイエスに言った、「それでは、あなたは王なのだな」。イエスは答えられた、「あなたの言うとおり、わたしは王である。わたしは真理についてあかしをするために生れ、また、そのためにこの世にきたのである。だれでも真理につく者は、わたしの声に耳を傾ける」